京橋東野田へ移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 09:22 UTC 版)
「大阪府立東高等学校」の記事における「京橋東野田へ移転」の解説
1960年代から1970年代には、校舎の老朽化や敷地の狭さなどから教育活動に支障が出るとの意見があがり、当時の学校関係者が関係各機関へ陳情した。大阪市は1973年、33億3700万円を投じ大阪大学工学部跡地約1万坪を取得した。 同様に敷地が狭く校舎が老朽化していた大阪市立東商業高等学校と当校の2校移転案が市教育委員会から提示され、一時は「東・東商業2校を統合した上で移転」案も取り沙汰されたが、東高等学校単独での移転が1977年に決定した。 1979年に東野田の地に移転し、現在地での教育活動を開始した。東野田の新敷地は、久太郎町の旧敷地の10倍の広さになったとされる。なお旧校舎跡は、東商業高等学校の校舎建て替えに伴う仮校舎として使用されたのち、中央区役所となっている。
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