東南アジア連合 の設立とは? わかりやすく解説

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東南アジア連合 (ASA) の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:06 UTC 版)

カルロス・ガルシア」の記事における「東南アジア連合 (ASA) の設立」の解説

1958年12月対外政策方針発表しその中で共産主義対抗するために自由主義アジア諸国1つ団結させるという目標公表した1959年1月フィリピン公式訪問したマラヤ連邦トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相もまた相違点はあるものの地域協力構想抱いており、経済文化協力必要性と言う点で見解一致した両首相は会談後の共同声明で他の東南アジア諸国働きかけ両国外務省実現向けて動き出したタイのタナット・コーマン(英語版外相地域協力構想関心示し1959年7月タイ作成した地域協力構想案を東南アジア諸国回付した。1960年7月ラーマン首相がマラヤ・フィリピン・タイの3ヶ国を原加盟国とした地域協力機構設立意思があることを公表し原加盟国の3か国は中立非同盟諸国加盟することを強く希望した1961年7月31日から8月1日バンコクラーマン首相・タナット外相フィリピンのセラノ外相の3者が会談し初日会談後に東南アジア連合ASA設立宣言バンコク宣言)を発表したASA東南アジアでは初の地域協力機構であり、1967年8月東南アジア諸国連合ASEAN)に機能継承する形で解散した

※この「東南アジア連合 (ASA) の設立」の解説は、「カルロス・ガルシア」の解説の一部です。
「東南アジア連合 (ASA) の設立」を含む「カルロス・ガルシア」の記事については、「カルロス・ガルシア」の概要を参照ください。

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