東京版の刊行
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1921年(大正10年)10月、後に「東京版」と称されることになる新たな『種蒔く人』が刊行された。雑誌の装丁は面目を一新し、創刊号の表紙画には柳瀬正夢の手による爆弾の絵を配し、スローガンである「行動と批判」が題字の下に記された。誌面は全56頁と増強され、定価は30銭で3,000部を発行した。また、前節で述べた通り多彩な顔ぶれの執筆陣を集めたが、これは特定の主義・主張にとらわれずに進歩的な論客が連携を目指す『種蒔く人』の性格を形づくることとなった。また、再刊にあたっては、小牧の自己資金のほかに有島武郎および相馬黒光から資金の援助を得た。「東京版」創刊号が発売と同時に発禁とされると、小牧らは有島武郎を訪ねて支援を要請し、有島は所蔵していた梅原龍三郎の絵画に自筆のサインを入れて譲ったと伝わる。この絵画は東京の金融業武藤重太郎(俳号・翠雲)によって600円で買い取られた。 『種蒔く人』に参加する同人は、1922年(大正11年)には平林初之輔、津田光造、松本淳三が、翌1923年(大正12年)には青野季吉、上野虎雄、中西伊之助、前田河広一郎、佐野袈裟美、山田清三郎、武藤直治が加わり、その活動の規模を拡大していく。なお、第9号からは発行人兼編集人が小牧から今野に替わっている。『種蒔く人』は小説というジャンルを重視した一方、評論においても平林初之輔「文芸運動と労働運動」や青野季吉「階級闘争と芸術運動」といった警抜なものを掲載し、これらはプロレタリア文学運動の指導理念となった。一方で同人雑誌に過ぎない『種蒔く人』では満足な原稿料を支払えず、同人たちは生活のために良質な作品を商業誌に送らざるを得なかった。
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