上庸郡とは? わかりやすく解説

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上庸郡

(東上洛郡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/22 10:20 UTC 版)

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上庸郡(じょうよう-ぐん)は、中国にかつて存在した後漢末から初にかけて、現在の湖北省十堰市陝西省安康市にまたがる地域に設置された。

概要

212年建安20年)、漢中郡から鍚県上庸県を分割して、上庸郡が置かれた[1]。上庸郡は荊州に属した。

220年黄初元年)、孟達に降ると、魏の文帝により房陵郡・上庸郡・西城郡の3郡を合わせて新城郡が置かれた[2]228年太和2年)、新城郡の上庸・武陵の3県を分割して、再び上庸郡が設置された。230年(太和4年)、上庸郡が廃止され、鍚郡に編入された。237年景初元年)、魏興郡の魏陽県と鍚郡の安富県と上庸県が分割され、また上庸郡が立てられた[3]。後に上庸郡はまた新城郡に編入されたものと思われる。259年甘露4年)、新城郡を分割して、再び上庸郡が置かれた[4]

のとき、上庸郡は上庸・安富・北巫・武陵・上廉微陽の6県を管轄した[5]

南朝宋のとき、上庸郡は梁州に属し、上庸・安富・北巫・微陽・武陵・新安吉陽の7県を管轄した[6]

南朝斉のとき、上庸郡は上庸・武陵・斉安・北巫・上廉・微陽・新豊・新安・吉陽の9県を管轄した[7]

さかのぼって470年皇興4年)、北魏により東上洛郡が置かれた。511年永平4年)、東上洛郡は上庸郡と改められた。北魏の上庸郡は洛州に属し、豊陽の2県を管轄した[8]。この上庸郡は南朝統治下の上庸郡とは別の地に立てられたものである。

554年廃帝3年)、西魏により羅州が置かれ、上庸郡と新城郡が羅州に属した。

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、上庸郡は廃止されて、羅州に編入された[9]

脚注

  1. ^ 三国志』魏書武帝紀
  2. ^ 華陽国志』漢中志
  3. ^ 『三国志』魏書明帝紀
  4. ^ 『三国志』魏書三少帝紀
  5. ^ 晋書』地理志下
  6. ^ 宋書』州郡志三
  7. ^ 南斉書』州郡志下
  8. ^ 魏書』地形志二下
  9. ^ 隋書』地理志上



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