東シベリア沖の探検とは? わかりやすく解説

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東シベリア沖の探検

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:08 UTC 版)

北極海航路」の記事における「東シベリア沖の探検」の解説

17世紀ポモールに代わってコサックが、毛皮求め内陸水路伝って東シベリア進出した。彼らはレナ川ヤナ川インディギルカ川コルィマ川など大河下って北極海河口至りそこから帆船(氷の多い北極海航行適した断面形状をした「koch」と呼ばれるもの)で別の大河河口航海するという探検繰り返している。1648年にはセミョン・デジニョフとフェドット・アレクシーヴがコルィマ川河口から東へチュクチ海進みチュクチ半島回って太平洋側アナディリ川河口へと往復した。これはアジア大陸北アメリカ大陸地続きでないことを証明する発見であったが、この功績長年忘れられたままとなる。 18世紀には毛皮求め冒険商人加え地理学地図学探検目的とした学者軍人による北極海探検始まった1720年代にはピョートル大帝命令したカムチャツカ探検」(大北探検)と呼ばれる大きな探検計画始まった。デジニョフの航海から80年後の1725年から1730年にかけて、デンマーク生まれロシア海軍軍人ヴィトゥス・ベーリングが聖ガヴリール号(Sviatoy Gavriil)でデジニョフとは逆向き東から西航海行った。彼はシベリア横断しオホーツク海渡ってカムチャツカ半島着き、ここで聖ガヴリール号を建造した後、1728年夏に北へ出航してチュクチ海至りアジアアメリカの間に海峡があることを確認した。この海峡彼の名を採ってベーリング海峡呼ばれるようになった。またデジニョフが確認していた海峡中央部の島もベーリング再発見しダイオミード諸島名づけた。 第2回カムチャツカ探検1733年から1743年にかけて行われたベーリング副官アレクセイ・チリコフは聖ピョートル号と聖パーヴェル号の二隻でアメリカ大陸目指した。二隻は嵐ではぐれ別行動をとり、聖ピョートル号のベーリングたちは最初にアラスカ海岸視認したヨーロッパ人となり、聖パーヴェル号のチリコフたちは最初にアラスカ上陸したヨーロッパ人となった。チリコフはロシア帰還したが、ベーリング途中で病没した。 ベーリングとチリコフとは別に第2回カムチャツカ探検には他のロシア海軍軍人参加したセミョン・チェリュスキンらは陸路タイミル半島海岸調査し1742年5月タイミル半島最北端の岬に到達した。この岬がユーラシア大陸最北端で、北東航路最北端でもあった。彼は北東岬と名付けたが、現在はチェリュスキン岬呼ばれている。 1764年にはロシアの大科学者ミハイル・ロモノーソフ北東航路探検計画し、ワシリー・チチャゴフが3隻の艦隊アルハンゲリスク出航した航路発見はならなかった。1785年から1795年にかけて、エカチェリーナ2世命令英国海軍軍人ジョセフ・ビリングス(Joseph Billings)とロシア海軍軍人ガヴリール・サリチェフ(Gavril Sarychev)がオホーツク海側から北東航路探検し東シベリア・アラスカ・アリューシャン列島詳細な海図作成した1820年代にはフェルディナント・フォン・ウランゲル、ピョートル・フョードロヴィチ・アンジュー(Piotr Fyodorovich Anjou)、フョードル・ペトローヴィチ・リトケ(Fyodor Petrovich Litke)らが東シベリア沿岸調査し1830年代にも調査活動が行われた。

※この「東シベリア沖の探検」の解説は、「北極海航路」の解説の一部です。
「東シベリア沖の探検」を含む「北極海航路」の記事については、「北極海航路」の概要を参照ください。

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