来歴・出身
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上記のように彼女の出身には多くの異説がある。 法句経によると、コーサラ国のサーヴァッティー(舎衛城)の長者の娘。幼くして青蓮華の如く美しく、ウッパラヴァンナー(青蓮華)と呼ばれた。年頃になると、国中の王や長者の子息達が求婚してきたので、彼女の父親の勧めで仏弟子となったという。後に間もなく開悟(かいご)し阿羅漢となり、神通力を得た。また後に舎衛城郊外の南にあるアンダヴァナ(闇林、暗い林)に住すようになったある日、彼女に恋慕していた従兄のアーナンダー(仏弟子の阿難とは別人)が、彼女の留守中に忍び込み、帰ってきたところを凌辱された。彼はそのすぐ後に表へ逃げ出したが大地が裂け阿鼻地獄に堕したという。彼女は皆にその一部始終を話したが、釈迦仏は「証果を得た者は快楽に染まらず」といわれたと伝えている。 四分律、長老尼の詩(テリーガータ)等によれば、優禅那邑(ウッジェーニー、欝禅とも書く)国の人に嫁して一女を産んだが、夫が密かに母親と通じたるを知り、生んだ娘が8歳の時に、一人家出した。そして疲れ果てて波羅奈(パラナシー)国に至り、ちょうど妻を亡くした長者と出会いその妻となった。その8年後、長者がウッジェーニーへ赴き、若い女を妾とし連れ戻るや、彼女はこの少女を愛し、少女も彼女を母のように慕い共に暮らした。しかして後に彼女の素生を聞くと、それが以前残してきた実の娘である事を知り、自ら自責の念にかられ、またもや母娘で夫を共にした因縁を悲しみ、再び長者の家を出た。後にラージャグリハ(王舎城)の竹林精舎に至り、出家し比丘尼となったと伝えられる。 上項2の説に関連する説もある。長者の家を出てヴェーサリー(毘舎離)国城に奔り、婬女の群れに身を投じてその筆頭になった。後に王舎城に移り、目連の教下を受け、摩訶波闍波提に就いて出家したといわれる(出典不明)。 この他、経律異相32では、釈迦仏が神通で婦人に化けて蓮華色を教下し得悟したこと、毘奈耶破僧事32では、かつて王舎城中で一婬女であったが、目連によって出家して闇林で修行し開悟したが、彼女の昔の姿を知るバラモン僧が尋ねてきて、彼女が神通力で両眼を抉り出し与えようとすると、拳で頭を打たれたといわれる。また彌沙塞律(五分律)では、バラモンが蓮華色を犯して地獄に堕ちたともいわれる。
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