李公麟とその他の五代・北宋絵画
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「中国の絵画」の記事における「李公麟とその他の五代・北宋絵画」の解説
李公麟(活動期11世紀末 - 12世紀初) - 安徽舒城の人。字は伯時。晩年、龍眠山に隠居したことから龍眠山人と号した。王安石(政治家、詩人)や蘇軾(政治家、詩人、書家)と交友があった。白描の人物画を得意とした。父の李虚一は多数の古画を収蔵しており、公麟はこれらを模写した。伝承作品として『孝経図巻』(プリンストン大学美術館)、『五馬図巻』(東京国立博物館)などがある。 周文矩(しゅうぶんく、生没年不明) - 五代・南唐の宮廷画家。金陵句容の人。人物画、特に仕女図をよくした。伝承作品に『瑠璃堂人物図』(メトロポリタン美術館)、『重屏会棋図』(北京故宮博物院)がある。 韓熙載夜宴図(かんきさいやえんず)は、五代・南唐の画家・顧閎中(ここうちゅう)の作と伝えられる、彩色の風俗画巻。計5つの場面からなる。韓熙載は南唐の政治家で、100人もの妾妓を抱え、酒と女と音楽に溺れ、夜な夜な宴会を開いていたという。南唐の後主・李煜(りいく)は韓の行動を怪しみ、乱行の真意を探るため、ひそかに画家の顧閎中を遣わし、顧が記憶した宴会の模様を絵画化したのが本図であるという。画中画の山水画の様式や、画中に描かれている磁器の様式などから、現存本の制作年代は南宋以降とみられる。 清明上河図(せいめいじょうかず)は、北宋の画家・張沢端(ちょうたくたん)の作品で、当時の人々の生活や街の様子を伝える風俗画として著名である。北宋の都・汴梁(開封)の清明節の賑わいを絵画化したもの。長さ5メートルを超える画巻に士大夫、僧、船頭、人足、占い師などあらゆる階層の人々約700人が生き生きと描かれている。台北故宮博物院本のほか、後人による模本が多数ある。作者の張沢端は山東東武の人で、宣和(1119 - 1125年)の画院に属した。
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