朝日新聞と宮沢政権による対韓謝罪
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「吉田清治 (文筆家)」の記事における「朝日新聞と宮沢政権による対韓謝罪」の解説
慰安婦問題は、1992年(平成4年)に日韓の外交問題にまで発展した。宮沢首相の訪韓直前の同年1月11日、朝日新聞が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる。この記事は陸支密大日記を吉見義明が「発見」したと報道されたが、研究者の間ではこの資料は周知のものであった。同日朝日新聞夕刊では「韓国メディアが朝日新聞の報道を引用して報道」とのソウル支局電を掲載した。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮沢首相には「前向きの姿勢を望みたい」と主張した。またジャパン・タイムズは1月11日夜のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制(forced prostitution)を初めて認めた」との記事を掲載した。1月13日、加藤紘一官房長官が「お詫びと反省」の談話を発表、1月14日には韓国で、女子挺身隊を誤解歪曲し「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」と報道、同1月14日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ、1月16日には昭和天皇の人形が焼かれるなど反日デモが高まる韓国に渡り、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束した。
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