最終処分(さいしゅうしょぶん)
最終処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/02 14:46 UTC 版)
コンスティテューションは元々の設計目的に合致するように運用するには制約があった。巨大な機体は4基のプラット・アンド・ホイットニー R-4360が絞り出す以上の出力を要求し、このエンジン自体も冷却上の問題を抱えていた。この問題は飛行中にエンジン冷却用フラップを状況に応じて開くことにより対処できたが、これは抗力が増加してしまい結局は全体の航続距離が減少してしまった。 海軍は2機のコンスティテューションを1940年代終わりから1950年代にかけて運用したが、1949年にはこれ以上の運用には値しないと発表し、民間の航空会社への5年間の貸し出しを提案した。しかしコンスティテューションの運用に興味を示す航空会社は現れず(民間旅客機型はモデル 189と命名された)、海軍は2機を1953年に退役させた。両機は1955年にリッチフィールドに保管された。2機の機体と13基の予備エンジンは$9万7,785で売却された。ロッキード社はコンスティテューションを基にした最大乗客数169名の旅客機型モデル 389とモデル 489を提案したが、双方共に民間の航空会社からは「机上」の計画としか受け取られなかった。 コンスティテューションの1号機はラスベガスへ買い取られアラモ・エアウェイズの巨大看板として使用され、ハワード・ヒューズが資産を買い取った後に廃棄処分とされた。2号機はフロリダ州 オパ=ロッカ空港まで自力で飛行し、そこで保管された後で廃棄処分場へ移動された。そこで放火されて1979年に完全に破壊された。
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