最初のハードウェア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 09:53 UTC 版)
「MIPSアーキテクチャ」の記事における「最初のハードウェア」の解説
1984年、ヘネシーは、将来商業レベルとなる可能性のあるデザインを確立し、教え子、友人らとミップス・コンピュータシステムズを設立する。1985年、彼らは、最初のデザインであるR2000を完成させた。また、1988年には、それを進化させたR3000を完成させた。これらの32ビットCPUによって、ミップス・コンピュータシステムズは、1980年代に基盤を築くことができた。なお、これらの商用デザインにおいては、スタンフォード大学での学術研究的な設計方針とは異なり、ハードウェアにインターロック機構を装備し、掛け算も割り算もサポートしていた。なぜなら、単にひとつのプログラムを実行するだけなら、上述のディレイスロットの考え方で何とかなるが、商用としてはマルチタスクや割り込みへの対応は必須であり、インターロック機構の付加は必然だったからである。また、半導体プロセス技術の急速な進歩がそれを可能にしていった。インターロック機構を備えたとしても、インターロックをなるべく発生させないコンパイラ技術は高速化に必須である。これらのプロセッサは、SGI、DEC DECstation、ソニー NEWS、NEC EWS4800などに使われた。これらの設計にはソフトウェアアーキテクトのアール・キリアンも参加している。彼は後に MIPS III 64ビット命令セットを設計し、R4000のマイクロアーキテクチャ開発にも関わった。 1991年、ミップス・コンピュータシステムズ社は、最初の64ビットマイクロプロセッサR4000をリリースした。R4000は仮想アドレスだけでなく仮想空間IDを格納できる進んだTLBを採用していた。それによって頻繁なコンテキストスイッチの度にTLBをフラッシュする必要性をなくし、他の競合するアーキテクチャ(Pentium、PowerPC、Alpha)に対して劣っていたマイクロカーネル実装時の大きな性能問題を低減させることができた。 しかし、ミップス社は、R4000を市場に提供しようとしたころ、財政危機に陥った。そこで、当時のミップス社の最大の顧客であった米SGI社は、1992年にミップス社を買い取り、これによりMIPSアーキテクチャの存続が保証された。こうしてミップス・コンピュータシステムズ社はSGIの子会社となり、社名もミップス・テクノロジーズと変更された。
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