最初のファーストレディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:40 UTC 版)
「ファーストレディ」の記事における「最初のファーストレディ」の解説
アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは、1801年の就任時には妻と死別していたため、娘のマーサ・ジェファーソン・ランドルフをファーストレディとしていた。しかしマーサにも家庭があり、また、外交儀礼や社交術が物を言う時代、主婦とファーストレディの掛け持ちには体力的にも厳しいものがあった。そこでジェファーソンは国務長官ジェームズ・マディソンの妻で親しい友人でもあったドリーをもう一人のファーストレディとしてホワイトハウスに常駐させた。ジェファーソンが2期満了8年で引退を表明すると、その後継に出馬して当選したのがこのマディソンで、彼も大統領を2期満了8年を務め上げている。 したがって、ドリー・マディソンは「親族ではないファーストレディ」の唯一の例であり、1人の大統領に対して同時に存在した「2人目のファーストレディ」の唯一の例であり、かつ、2人の大統領を支えた「2代に亘ってファーストレディであった人物」の唯一の例でもあり、そしてまた、16年もの長きに亘ってホワイトハウスを生活の基盤としていた彼女は、「史上最も長くファーストレディを務めた人物」(最長不倒記録)として歴史に名を刻み付けることになった。 このドリー・マディソンが「ファーストレディ」という呼称の語源と歴史にも大きな役割も果たしていることは前述のとおりである。
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