暴力団の経済活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 05:27 UTC 版)
1992年(平成4年)に警察はヤクザを犯罪組織と認識し、制定された「暴力団対策法」により、賭博やドラッグなどの伝統的な収入源は完全に絶たれた。その法律から逃れるためにヤクザがはじめたのが街宣右翼であり、その主な活動として街頭宣伝がある(例: 皇民党事件)。そのほか、ヤクザは一般企業にも手を伸ばしてきた。典型的なのは産業廃棄物処理事業。最近では、融資という形でITベンチャーなどの企業活動にどんどん進出して(収入を得て)いる」とし、ヤクザと警察の関係についても「警察と親しかったヤクザは、同法施行後に警察との接触をやめた。ヤクザの経済活動は巧妙になり、日本の警察はヤクザについてほとんど分からなくなっている」とした。 また、日本の祭りや芸能がヤクザと渾然一体となって発展してきたことにも触れ、清水次郎長をテーマにした「次郎長背負い富士」をNHKが放映していることなどを指摘し、「日本にはヤクザを歓迎し、あこがれ、肯定する気持ちがあるからこそ、ヤクザが日本社会に浸透できる」と持論を述べている。さらに、名古屋の超高層ビル「ミッドランドスクエア」(名古屋市中村区)や中部国際空港(常滑市)の建設にトラブルが何もなかったことに疑問を呈した上で、企業(トヨタ自動車) とヤクザの結びつきにも言及し、「地元の大手企業(トヨタ自動車)が仕事をする上で、絶対にヤクザを必要としているはずである」と述べた。証拠については 「いくら調べても出てこない」としたが、「証拠がないのは、その事実がないということではない」と話し、自らと親交のある関係者から情報を得ていると語っている。
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