普通選挙請願運動
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『第三帝国』創刊約1年後の1914年(大正3年)10月5日、同誌20号において「普く天下の同志に檄す」と題し、同誌の同人から、読者へと選挙権拡張の運動を起こすよう呼びかけられた。「苟も日本の男子にして満20歳に達する者は尽く選挙権を有するやう」になるため、「賛成の諸君」から「原籍、族籍、職業年齢」の明記された日本紙(美濃紙)を発行所である「益進会」まで郵送してもらい、「来るべき議会に請願書を提出」しようというものであった。 この呼びかけに堺利彦や数多くの読者から賛意や声援が寄せられた。これを受けて同年の11月5日号(『第三帝国』23号)において次号から具体的な発表をしていくこと、また「請願書を纏め、適当な立派な議員に紹介して貰つて出すと同時に、各方面の同感者に賛助を求め、演説会も開き、最も進歩せる整然たる運動にしたい」という考えを打ち出している。同月15日号(24号)には、徳島県出身の読者から「普通選挙請願用紙」を雑誌の付録として備え付けてはどうかという意見が出され、この号から試験的に採用されたのち、翌年1月25日号から本格的に「普通選挙請願用紙 二枚一銭 郵税廿枚迄二銭」の見出しが掲載され、請願運動が本格化した。この運動の中心となったのは愛知県出身の鈴木正吾であった。
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