晋(西晋)の 泰始四年(268年)での解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:54 UTC 版)
「七支刀」の記事における「晋(西晋)の 泰始四年(268年)での解釈」の解説
日本書紀神功皇后摂政52年条(252年)に最も近い説である。発見者である菅政友も言及している説であった。百済の第8代の古尓王(在位:234年 - 286年)の時に作られたものとする。晋(西晋)の皇帝は世祖武帝司馬炎である。 〔表面〕 泰始四年五月十六日丙午正陽 造百練鋼七支刀 㠯辟百兵 宜供供侯王永年大吉祥<判読> 泰始四年(268年)夏の中月なる5月、最も夏なる日の16日、火徳の盛んな丙午の日の正午の刻に、百度鍛えた鋼の七支刀を造る。これを以て百兵の兵器の害を免れるであろう。恭謹の徳ある侯王(倭王)に栄えあれ、寿命を長くし、大吉の福祥あらんことを。 〔裏面〕 先世以来未有此刀百濟王世□奇生聖音(又は晋)故為倭王旨造傳示後世<判読> 先世以来、未だこのような刀は、百済には無かった。百済王と世子は生を聖なる晋の皇帝と倭に寄せることにした。それ故に、倭王が百済王に賜われた「旨」を元にこの刀を「造」った。後世にも永くこの刀と共に倭と百済が伝え示されんことを。
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