晋・南北朝時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 11:00 UTC 版)
東晋になると、録尚書事が常設されるようになったようである。またこの時代に録尚書六条事というものが現れる。この職がどういうものかについては、現在のところ良くわかっていない。『宋書』には東晋初期に政権を執った王導について「咸康中、分置三録、王導録其一、荀崧・陸曄各録六条事」(咸康年間、分けて三録を置いた。王導がその内の一つを録し、荀崧・陸曄がそれぞれ六条事を録した)とある。六条事について、『宋書』の著者の沈約は「尚書の分掌が全部で12条あり、荀崧・陸曄はそれを半分ずつ担当したのだろう」としている。録尚書事が常設でなくなるのは南朝宋の孝武帝の時期であるが、それから30年ほどしか経っていない『宋書』執筆の時点ですでに、録尚書六条事についてはよくわからなくなってしまっていたらしい。その他にもいくつか説があり、確たることはわからないが、録尚書事には「総録」と「録尚書六条事」があり、総録の方が上位であるがどちらも宰相職として政権を執っていたらしい。 録尚書事の常設は南朝宋の文帝の時期まで続いたが、孝武帝の時期に録尚書六条事であった劉義宣の反乱をきっかけに録尚書事が廃止された。前廃帝の時期に復活するが常設ではなくなり、南朝斉以降にそれは引き継がれた。南朝斉以降では録尚書事に任命されること自体が少なくなり、録尚書事の存在は小さくなっていき、隋代に三省六部体制が整えられると共に録尚書事は正式に廃止された。
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