時流の変わり目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/24 17:22 UTC 版)
「エイナル・サンバルスケルヴィル」の記事における「時流の変わり目」の解説
しかし、1045年頃、歳を重ねたエイナルは運に恵まれなくなった。この頃に、東ローマ帝国のコンスタンチノープルでの軍指揮官として築いた莫大な財産を携えて、オーラヴ・ハラルズソンの弟ハラルド・シグルズソン(後に「苛烈王」と呼ばれる)が帰ってきた。かつての君主ハラルド美髪王によって適切に決められている継承法により、ハラルドには王座に対する正当な要求があり、立候補を躊躇することのない資格があった。ハラルドがその財力を軍事力に変えるのを恐れて、マグヌスはエイナルの助言に逆らい、1046年後半にハラルドを共同君主に就かせた。わずか1年後、マグヌスは死に、そして「苛烈王」ハラルドがただ一人の君主になった。 ハラルドは権力を集中することを決心し、争っている貴族と農民の指導者達に対しては寛容さがほとんどなかった。従って、ハラルドは同様に信念の固いエイナル・サンバルスケルヴィルとの衝突必至で終わりかねなかった。内戦の前兆となりうる紛争が起こり、そしてエイナルは、次第に不評で専政的になっていくハラルドに対抗する次なる農民軍を起こし始めた。しかしこの行為が完了する前に、ハラルドが和解を要求すると思われた。ハラルドはエイナルに、ニーダロス(英語版)の自分の農場で会議を持つことを頼んだ。二人が座って、協定を仲介することがありえるようにと話したが、ハラルドにはしかしそのような意図がなかった。ハラルドは、エイナルへの支持があまりに強大となる前にエイナルは追い出されなければならなかったと判断した。こうして、王の農場に到着したとき、エイナルと彼の息子エインドリジ (Eindride) は暗殺された。エイナルとエインドリジの遺体は、オーラヴ聖王の名を冠した教会の、マグヌス・オーラヴスソン王の墓の側に葬られた。
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