時津風部屋付き親方としての指導と報道対応
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「蔵玉錦敏正」の記事における「時津風部屋付き親方としての指導と報道対応」の解説
引退後の約20年間は鏡山部屋付きの親方として後進を指導していたが、2002年の12代枝川襲名時に同門の時津風部屋に移籍し、2019年の退職まで所属していた。時津風部屋付きとしては厳しい指導で知られ、部屋付きであった頃は部屋が引き締まっていたという。 現役時代から元・双津竜の15代時津風とは親しくしており、2007年の時津風部屋力士暴行死事件で15代時津風の処分が取りざたされた際には、部屋付き親方(当時は16代錦島)としてマスコミ対応を行っている。15代時津風の解雇直後には、本人の様子などを報道陣に説明しているニュース映像も見られた。また部屋の後継者となった16代時津風の引退記者会見にも、解雇された15代時津風に代わって同席した。 2014年6月に、肺がんの治療で入院中の15代時津風を見舞った際に、抗がん剤によるがん治療を始めたことを明かされていたという。同年8月12日、15代時津風の死去が報じられた際には「(当日の)午前中に連絡が入り、きのうの夜中に亡くなったと聞いた。先月、病院で会った時はすこぶる元気だった。うまそうにかき氷を食べていたのに…」と様子を説明している。
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