昭和40年代から平成初期
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「函館バス」の記事における「昭和40年代から平成初期」の解説
1965年(昭和40年)以降も路線拡大が図られ、1966年(昭和41年)9月に函館 - 長万部間直通系統を開設。1967年(昭和42年)2月に長万部と恵山に営業所を開設した。一方で過疎化やモータリゼーション化の進行、鉱山の閉山による乗客減少から過疎路線の廃止も同時に行われた。特に八雲営業所管内では1969年(昭和44年)から翌年に掛けて町内の路線の大半が休止となり、八雲営業所は同年10月22日に6年の営業期間で廃止されている。これらの休止路線は1975年(昭和50年)2月18日付で廃止され、一部路線は八雲町が引き継いでいる。組織変更も進められ、昭和50年台中期までに大半の営業所が出張所化されている。 ワンマン運転は1969年(昭和44年)5月1日の七重浜線を皮切りに函館市内・近郊路線より順次行われた。地方路線には狭隘区間が残っていることもあり、定期全路線のワンマン化は1989年(平成元年)11月4日までの20年以上かかっている。1979年(昭和54年)5月10日には本社を現在地に移転。路線は1982年(昭和57年)に横津岳国際スキー場線、1985年(昭和60年)に函館 - 大成間の直通系統(大成号)、1987年(昭和62年)に函館 - 北檜山・瀬棚間の直通系統(瀬棚号)や洞爺湖温泉線などを開設。一方で1971年(昭和46年)に開設された恵山高原ホテル線は1978年(昭和53年)までの僅か7年で廃止されるなど整理が進められた。特定地方交通線廃止によるバス代行路線として、1987年(昭和62年)3月16日の国鉄瀬棚線、1988年(昭和63年)2月1日のJR北海道松前線廃止による代行輸送を開始している。
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