昭和40年代から平成初期とは? わかりやすく解説

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昭和40年代から平成初期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:54 UTC 版)

函館バス」の記事における「昭和40年代から平成初期」の解説

1965年昭和40年以降路線拡大図られ1966年昭和41年9月函館 - 長万部直通系統開設1967年昭和42年2月長万部恵山営業所開設した一方で過疎化モータリゼーション化の進行鉱山閉山による乗客減少から過疎路線の廃止同時に行われた。特に八雲営業所管内では1969年昭和44年)から翌年掛けて町内路線大半休止となり、八雲営業所同年10月22日6年営業期間廃止されている。これらの休止路線1975年昭和50年2月18日付で廃止され一部路線八雲町引き継いでいる。組織変更進められ昭和50年台中期までに大半営業所出張所化されている。 ワンマン運転1969年昭和44年5月1日七重浜線を皮切りに函館市内・近郊路線より順次行われた地方路線には狭隘区間残っていることもあり、定期路線ワンマン化は1989年平成元年11月4日までの20年以上かかっている。1979年昭和54年5月10日には本社現在地移転路線1982年昭和57年)に横津岳国際スキー場線、1985年昭和60年)に函館 - 大成間の直通系統大成号)、1987年昭和62年)に函館 - 北檜山瀬棚間の直通系統瀬棚号)や洞爺湖温泉線などを開設一方で1971年昭和46年)に開設され恵山高原ホテル線は1978年昭和53年)までの僅か7年廃止されるなど整理進められた。特定地方交通線廃止よるバス代行路線として、1987年昭和62年3月16日国鉄瀬棚線1988年昭和63年2月1日JR北海道松前線廃止による代行輸送開始している。

※この「昭和40年代から平成初期」の解説は、「函館バス」の解説の一部です。
「昭和40年代から平成初期」を含む「函館バス」の記事については、「函館バス」の概要を参照ください。

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