昭和時代の青年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:41 UTC 版)
青年期になり、大学生などのインテリ層や労働者の中には自由主義を唱えたり社会主義思想に共感を持ち、学生運動をするなどリベラルな思想を持っていた世代であったが、青年期に、国粋主義者や大日本帝国陸軍による五・一五事件や二・二六事件などのテロによって政友会と民政党の2大政党による政党政治が崩壊して、大正デモクラシーから昭和時代になり軍国主義の日本となった。世界恐慌による就職難の時代であり、1932年(昭和7年)の失業率は6.9%まで上り、「就職氷河期」の同義語に当たる「大学は出たけれど」が流行語になった。中でも、高等小学校を出た大正一桁生まれは、軒並み就職難に遭遇した。冷害の年が続いた為、寒冷地の農村では「娘の身売り」が社会問題に発展した。この事が孫世代である団塊ジュニア世代やポスト団塊ジュニア世代と共通していると比較される。
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