昭和時代のつきひざ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 02:50 UTC 版)
平成以前にもつきひざが非技として認められていたのは確かなようであり、日本体育叢書第八巻「相撲」(大正12年) には「負手」として突膝が規定されていた。記録明確な例では1928年10月場所2日目の鏡岩‐瀬戸山(瀬戸山●)が初めてであり、1929年1月場所10日目の劔岳‐荒熊(荒熊●)、1920年1月場所4日目の大蛇山‐武藏山(武蔵山●)、1933年1月場所5日目の錦華山‐双葉山(双葉山●)、1950年1月場所初日の神風‐鏡里(鏡里●)と続き、合わせて5例が報告されている。ただし戦前までは、各種マスコミにより決まり手報道はばらばらであったためにあくまでこのつきひざ5例は一般的な報告例に過ぎず、公式発表として扱うことは必ずしも適切と言い難い。1957年に日本相撲協会が決まり手70手と非技2つを制定した際つきひざが含まれなかったことで、以降2001年まで記録されなくなった。
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