昭和時代の中小坂鉄山
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昭和10年代に入り、戦時体制が強化される中、中小坂鉄山は採鉱が再開されることになった。昭和12年(1937年)10月28日、中小坂鉄山の開山式が行なわれ、商工大臣の吉野信次が来賓として招かれた。昭和期の中小坂鉄山は、中小坂鉄山の東約2キロのところにある近江山鉱区と、西側約1キロの場所にある春日田鉱区とともに採鉱が行なわれた。再開された中小坂鉄山は当時の新鋭機械を利用した探鉱が行なわれ、採掘された鉄鉱石は明治時代に使用されたトロッコ道を再利用して運搬された。当時、中小坂鉄山では90名を越える従業員が就労していたとされ、鉱山再開直後の昭和13年(1938年)1月12日には死者6名を出した落盤事故も発生した。 中小坂鉄山で採鉱された鉄鉱石は、主に京浜地区の製鉄所に輸送されていたが、第二次世界大戦末期の空襲によって京浜地区の製鉄所の機能が失われたことにより、中小坂鉄山の鉄鉱山としての役割も失われた。 戦後の中小坂鉄山は数人の経営者が替わる中、小規模な鉄鉱石の採鉱が続けられていたが、昭和36年(1961年)に閉山となった。
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