昭和前半まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:36 UTC 版)
追い込み漁の方法は、漁船50 - 60艘で半月状に群れを取り囲み、投石、水面を叩く、船縁を叩くなどして湾内に追い込み、湾を「建切網」で塞ぐというものだった。小型鯨類の漁法は追い込み漁以外にも、呼吸の際を狙った突取と呼ばれる銛を使った方法も行われた。 当時は肉は食用、脂肪は油採取、革は革製品(とりわけ靴)に用いられた。なお、食用としてはゴボウなどと共に味噌煮にするのが一般的だった。静岡県では醤油漬けや味醂漬けを天日に干したものが焼いて食べられた。皮からは油が取られ、揚げ油や石鹸の原料として使われた。絞った後の皮は揚げて菓子として食べられた。残りは良質の肥料とされた:34。 静岡県の川奈(現伊東市)でのいるか小型鯨類の追い込み漁は、カンカンと呼ばれる孟宗竹の節を抜いた棒で海面を叩いたり、ドウズキと呼ばれる150センチメートル位の棒を投げ込んだりして、13ノット (24 km/h)ぐらいの速度で行われた:16-21。1回の漁獲量が1000 - 2000頭ほどだった:18。 江戸時代の漁の様子は、『肥前国産物図考』のひとつ『海豚漁事・鮪網之図・鯛網・海士』を参照されたい。
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