昭和初期の水論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 06:08 UTC 版)
明治維新後も用水路の使用をめぐり、御代田村と岩村田町との間で水論が繰り返された。昭和に入り、岩村田町は用水を「町の単独用水」であると誤認して多くの問題を生じたとして、1928年(昭和3年)、用水の共同使用権を主張する御代田村が、岩村田町を提訴。1931年(昭和6年)2月7日、裁判所の仲裁により和解成立した。取り交わされた和解契約書の第1条には、「谷地沢用水は岩村田町大字岩村田及御代田村共に従来通りその使用権を有するものとす」(引用)と明記された。
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