昭和初期の全国的流行から現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 05:51 UTC 版)
「鹿児島おはら節」の記事における「昭和初期の全国的流行から現代」の解説
鹿児島県西之表市出身の歌手及び芸者の新橋喜代三によって1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)の間に(発売年には諸説あり)レコード化されたのがきっかけとなり全国的に流行した。その他にも小林旭、くるりなどによってカバーされている。 1949年(昭和24年)より鹿児島市制60周年記念として鹿児島市にておはら祭が始まり、祭りの総踊りでおはら節が踊られるようになった。 1988年(昭和63年)に鹿児島市原良町の企業が発祥の地である原良町に「おはら節発祥の地」像を建立したが、2011年(平成23年)に企業が移転することとなり、像は犬迫町の個人が企業から譲り受け一時的に保管されることとなったが、2012年(平成24年)に原良城西町内会が原良二丁目にある原良第二公園への像の設置を計画し、所有者からおはら祭振興会に像が寄贈され、原良第二公園に移設された。 また、九州新幹線が全線開業した2011年3月12日より鹿児島中央駅到着時及び発車時に流れる車内メロディ や新幹線が発車する際にホームで流れる発車メロディとして鹿児島おはら節のメロディをアレンジしたものが導入された(アレンジは向谷実が手掛けた)。
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