昭和初期のサーカス・イメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 13:33 UTC 版)
「サーカス (小説)」の記事における「昭和初期のサーカス・イメージ」の解説
三島がハーゲンベック・サーカス団を観に行った1933年(昭和8年)には、西條八十作詞・古賀政男作曲の「サーカスの唄」が大ヒットし、サーカス芸人の物悲しさが歌われていた。大正末期から昭和初期の日本では、サーカスというと「人さらいの話」がイメージされ、曲馬団の団長は悪い男の標本のような者が連想されていた。 また、1929年(昭和4年)には、サーカスを詠った中原中也の哀愁漂う詩が発表され、加藤まさをの『消えゆく虹』という、サーカスの少年少女の悲恋と死を描いた純情小説も刊行されて大人気となっていた。この主人公の少女は実は富豪の令嬢で、悪い団長が自分の娘を身代りにその富豪の家に送り込むため、少女を殺そうと画策する話で、少女は兄のように慕っている少年と一緒にサーカスから逃亡する筋立てになっている。 三島の「サーカス」初稿では、この『消えゆく虹』での少年少女の不遇や、貴族的な出目が明かされる設定に共通性が見られることも指摘されている。
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