星野監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:02 UTC 版)
2002年 12年ぶりに開幕戦を勝利で飾るなど開幕7連勝でスタートし、巨人と首位争いを繰り広げていたものの、レギュラー選手に相次いで故障離脱が続出。特に赤星・矢野の離脱が致命的でセンターラインを失ったチームは徐々に失速。最終的には4位に終わり、主力と控えの戦力差に課題を残した。しかしチームとしては5年ぶりに最下位を脱出。シーズン中にエバンスと西武の橋本武広の交換トレードを行い、オフには「血の入れ替え」とも称される大改革を決行し大量20人が退団。ドラフトでは江草仁貴、久保田智之ら12名を指名、FAで広島の金本知憲、トレードで日本ハムの下柳剛、野口寿浩らを獲得。新外国人としてジェフ・ウィリアムスを獲得。さらにニューヨーク・ヤンキース等で活躍した伊良部秀輝が加入。ウェーバー公示を経て久慈が復帰した。 2003年 「第三次ダイナマイト打線」と称された強力打線を擁し開幕より快進撃を続け、優勝マジックをセ・リーグ史上最速となる7月8日に点灯させる。マジック点灯以降は故障者が続出したことで対中日戦で同一カード7連敗や2度の5連敗などを喫するなどやや失速するも、9月15日に28年ぶりリーグ優勝した。これによりセ・リーグ6球団は全チーム、平成にリーグ優勝を果たした。また巨人に18年ぶり、ヤクルトには13年ぶりに勝ち越した。20勝を挙げた井川慶がMVPを受賞。日本シリーズは福岡ダイエーホークスと対戦するが、甲子園でのゲームを全て勝利した一方で、福岡でのゲームを全て落とし、3勝4敗で敗れた。シリーズ終了後、星野が体調不良を理由に監督を退任し、シニアディレクター(SD)職に転ずる。また、星野に招聘されたコーチ陣のうち、島野育夫はフロントに転出して管理部長、オマリーは駐米スカウトとして球団に残ったが、田淵幸一、達川光男、西本聖は退団した。岡田彰布が後任の監督に就任。ドラフトでは自由獲得枠で鳥谷敬を獲得。
※この「星野監督時代」の解説は、「阪神タイガース」の解説の一部です。
「星野監督時代」を含む「阪神タイガース」の記事については、「阪神タイガース」の概要を参照ください。
- 星野監督時代のページへのリンク