明洞劇場の時代
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1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年(昭和23年)8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。正確な時期は不明であるが、韓国民間の手で復興、明洞劇場と改称した。アメリカ映画等の輸入映画を中心に上映しており、1964年(昭和39年)には、『王様と私』(監督ウォルター・ラング、アメリカ公開1956年6月28日、日本公開同年10月26日)を同館で公開している。1965年(昭和40年)5月当時の同館前を撮影した写真には、イギリス映画『キャラバン(英語版)』(監督アーサー・クラブトゥリー(英語版)、イギリス公開1946年6月3日、日本公開1948年1月6日)が上映されている様子が写っている。1966年(昭和41年)2月当時の同館前を俯瞰で撮影した写真には、エルヴィス・プレスリーが主演したアメリカ映画『ラスベガス万才(英語版)』(監督ジョージ・シドニー、日本公開1964年5月1日、アメリカ公開同年同月20日)の手描き看板が写っている。当時の同館は、封切館ではなく、1-2週遅れの公開済みの洋画を上映する二番館であった。1967年(昭和42年)には、同館の並びにユネスコ会館が建設された。 1974年(昭和49年)6月25日、閉館した。建物には中央投資銀行(社長李龍萬)が入居したが、のちに取り壊された。現在は商業ビルディングが建っており、1階にはハナ銀行明洞営業部がある。
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