旧高取家住宅とは? わかりやすく解説

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旧高取家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/01 05:15 UTC 版)

旧高取家住宅
旧高取家住宅(2016年2月)
情報
竣工 1904年
座標 北緯33度27分15.8秒 東経129度58分19.5秒 / 北緯33.454389度 東経129.972083度 / 33.454389; 129.972083座標: 北緯33度27分15.8秒 東経129度58分19.5秒 / 北緯33.454389度 東経129.972083度 / 33.454389; 129.972083
文化財 国の重要文化財
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旧高取家住宅(きゅうたかとりけじゅうたく)は、佐賀県唐津市にある伝統的建築物。

概要

「肥前の炭鉱王」として知られる高取伊好が1904年に自宅として建築したもので、その後昭和初期にかけて増築され現在の規模になった[1]

敷地は面積が約2300坪で唐津湾に面しており、建物は居室棟と大広間棟の2つからなっている。和風建築ながら洋間を持ち、また大理石のマントルピースやアールヌーボー調のシャンデリアを取り入れるなど、明治期の邸宅に特徴的な和風建築に洋風の要素を取り入れたつくりとなっている。また、大広間棟には能舞台茶室が設けられており、座敷に仕組まれた能舞台は唯一の現存例なのではないかと言われている[1][2][3]。杉戸絵や欄間などの意匠も特筆すべき点の1つで、このうち72枚ある杉戸絵については京都四条派の水野香圃が半年ほど滞在して制作したものとされている。その他、玄関が来賓用・主人用・家族用と3つ存在するなどの特徴もある[4]

1991年の台風により損傷し、当時の高取家当主は解体の意向を示していたが、唐津市内にある旅館の女将らが中心となって保存運動を展開。これにより多くの専門家らが当邸宅を訪れるようになり注目を浴びた[3]。その後、1997年に当邸宅が高取家から唐津市に寄贈され、翌1998年に国の重要文化財に指定[3]。2001年より文化庁の指導の下で保存・修復工事を行い、昭和初期の姿に再現。2007年より「旧高取邸」として一般公開されている[1][4]

なお、旧高取家住宅(旧高取邸)の南側には高取伊好が娘婿夫婦のために建てた舞鶴荘がある[5]

利用情報

  • 所在地
佐賀県唐津市北城内5-40
  • 入館料
一般510円、高校生250円
  • 開館時間
9時30分 - 17時00分
  • 休館日
毎週月曜日(祝日の場合は開館、直後の平日を休館)・年末年始(12月29日〜1月3日)

交通アクセス

脚注

関連項目

外部リンク



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