旧長尾村とは? わかりやすく解説

旧長尾村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 13:57 UTC 版)

向ヶ丘 (川崎市)」の記事における「旧長尾村」の解説

橘樹郡長尾村(ながおむら)は、その名の由来には定説はないが、かつては長岡村称しており、後に長尾景虎上杉謙信)が当地行軍したことから、その名にあやかって改称したといわれているが、かつて「長岡村」と称していたことを示す記録が他になく、その真偽定かではないまた、長尾景虎関東侵入先立つ永禄元年1558年)に北条氏康発行した虎の印判状に、長尾地名見られる平瀬川沿いに開けた現在の神木本町中心とし、多摩川が迫る丘陵北側までを含む地域が旧村域だが、その大部分丘陵地であり、急傾斜地が多く平地神木本町付近わずかである。多摩川扇状地接す北側には、現在は二ヶ領本川通っている。 「神木」という地名古くから呼ばれており、当代表する地名であったが、その由縁定かではない等覚院天台宗深大寺門徒)のある谷戸現在の神木本町一丁目五所塚付近)が通称神木谷戸」(しぼくやと)と呼ばれており、また等覚院正式名を「神木長徳寺」と称し付近地名にも「神木」の名が見られることから、この付近に由来するものとも考えられている。 北部妙楽寺は、仁寿年間創建とも伝えられる吾妻鏡では「威光寺」「長尾寺」と記され源頼朝から数代わたって祈祷であった記されている。 旧長尾村内には次の字名がある。 新川(しんかわ) - 丘陵北側・現在二ヶ領本川通っている付近。 西高根(にしたかね) - 旧向ヶ丘遊園および現在の五所塚付近東高根(ひがしたかね) - 東高根森林公園その周辺の、平瀬川より北側丘陵地。 元泉(もといずみ) - 平瀬川沿いの水田地帯通称「谷長尾」(やとながお)。 長峰(ながみね) - 南側丘陵地現在の神木本町三・四丁目および神木一・二丁目。

※この「旧長尾村」の解説は、「向ヶ丘 (川崎市)」の解説の一部です。
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