旧県立資料館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:55 UTC 版)
「沖縄県平和祈念資料館」の記事における「旧県立資料館」の解説
開館当時は、靖国神社奉賛会の支部である、沖縄県戦没者慰霊奉賛会(現:沖縄県平和祈念財団)が開館させたので、遊就館の様に旧帝国陸軍の牛島満中将の遺影や辞世の歌などが続き、日章旗や、拳銃や銃剣等の武器類、鉄兜や水筒や薬品ビンといった軍用品等遺品の宝物館と変わらなかった。これについて、遺骨収集と時に発見された遺品を奉賛会に寄贈した物を展示したに過ぎないので、沖縄戦の伝承について基本構想や理念は何もなかった。この事を契機に、沖縄戦の研究者たちは「沖縄戦を考える会」(準備会)を結成し、1975年6月20日付けで屋良朝苗知事と沖縄県議会に対し展示内容の問題点を指摘し、展示改善を求める意見書を提出した。1978年10月、リニューアル開館され、開館当時から180度違う沖縄の反戦平和運動の主張である、沖縄戦で旧帝国陸軍による県民虐殺の内容などが盛り込まれる様になった。また、特徴として、沖縄戦は激しい地上戦で文書の記録が残っていなかったので、当時の住民の証言を多角的に集めた物を展示に反映している。
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