日発理事・関配副社長とは? わかりやすく解説

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日発理事・関配副社長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:47 UTC 版)

藤波収」の記事における「日発理事・関配副社長」の解説

1938年昭和13年4月電力国家管理目的とする電力管理法公布され国策会社日本発送電株式会社日発)の設立決定する。その裏藤波属す大同電力は、国家管理経営与え影響大きかったことから、資産負債一切日発移譲した上で解散することを決めた解散は翌1939年昭和14年4月2日付で実行移されたが、解散後清算人とならない役員解散先立ち辞任手続きをとることとなったので、藤波同年3月30日付で常務取締役支配人辞任した。また28日付で当時在籍していた傍系会社役員昭和電力取締役神岡水電取締役愛岐水力取締役など)も辞任している。 1939年4月1日日発創立総会開催し発足する大同電力からは社長増田次郎総裁に、常務藤波永松利熊常務理事それぞれ就任した藤波電気工作物運用保守改良および電力配給つかさどる工務部の部長に就き大同電力時代担当していた経営方面ではなく技術方面にて活動することとなった1940年昭和15年7月機構改革理事部長制が社員部長制に改められたため、藤波工務部長から降りて電気建設部・土木建設部・機械建設部・建築課の担当に変わる。さらに1941年昭和16年5月増田後任総裁池尾芳蔵による機構改革総務営業建設の3局が置かれるこのうち建設局長を任された。翌1942年昭和17年7月再度機構改革工務局長となり、1943年昭和18年12月新井章治総裁による機構改革では運営部門つかさどる業務局となった1944年昭和19年4月5日新井総裁派閥形成寄り合い所帯弊害解消するとして本人曰く無軌道な人事」を断行し藤波を含む3局長罷免した。藤波の後任業務局長は安蔵弥輔日発理事からの退任12日付で、関東配電株式会社転出し同社副社長就任した同社配電統制令に基づき東京電灯事業などを統合して1942年発足した関東地方供給区域とする国策配電会社である。当時社長は元逓信次官平沢要で、日発総裁となった社長新井追って副社長であった日発転じたので、交代藤波入ったとなった関東配電副社長として太平洋戦争終戦迎え戦後の公職追放との関連により1946年昭和21年5月30日付で辞職した

※この「日発理事・関配副社長」の解説は、「藤波収」の解説の一部です。
「日発理事・関配副社長」を含む「藤波収」の記事については、「藤波収」の概要を参照ください。

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