日東交通の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:23 UTC 版)
「日東交通 (千葉県)」の記事における「日東交通の誕生」の解説
旅客輸送における責務を果たすために、この難局を放任することは許されなかった。 1943年(昭和18年)、安房合同自動車・君津合同自動車・外房内湾自動車の3社は、政府各方面からの要請を受け、合併協議を開始し事態の収拾に取りかかったが、各社の資本構成や合併条件などの問題から、協議は暗礁に乗り上げてしまう。 3社は、この非常事態収拾に対する合議の結果、安房郡出身の実業家である中村庸一郎(当時、衆議院議員)に協力を打診。中村も事の重大性に理解を示し、3社の合併準備も進んだことから、郷土の交通事業のためにと積極的に行動を起こした。 協議開始時に直面していた資金面・条件面の問題も3社の要望どおりに解決し、多額の資本注入を得て協議が無事成立。3社合併の準備として、まずは安房合同自動車と君津合同自動車が合併した。 翌1944年(昭和19年)7月、外房内湾自動車と丸共自動車を合併し、日東交通株式会社に商号変更。社長には合併のため尽力した中村庸一郎が就任した。
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