日本製鉄鹿島製鉄所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 03:30 UTC 版)
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日本製鉄鹿島製鉄所(にっぽんせいてつかしませいてつしょ)は、茨城県鹿嶋市にある日本製鉄の製鉄所(銑鋼一貫製鉄所)である。
概要
1968年に住友金属工業鹿島製鉄所として高炉と熱延工場の操業を開始。鹿島港に面した鹿島臨海工業地帯に位置し、敷地面積は約1000万m²(東京ドーム220個分)で、敷地の中には港があり、大型船が出入りしている。従業員数は2,985 人となっている(2019年3月31日時点)[1]。1983年に和歌山製鉄所から大量配転され、粗鋼年産800万t体制の主力製鉄所となったが、新日鉄との合併後は同じく関東に拠点を置く旧新日鉄の君津製鐵所との兼ね合いや、また東日本大震災の津波の影響による施設破損などもあり、2019年では粗鋼生産716万トンとなっている。
製鉄所構内には日鉄ステンレス鹿島製造所、シーケム鹿島工場、日鉄鋼管鹿島事業所、エア・ウォーター鹿島工場、中央電気工業鹿島工場といった日本製鉄グループ企業や関連企業の製造拠点が立地している。
スポーツを通じた地域交流も盛んであり、サッカー部(住友金属工業蹴球団)は現在の鹿島アントラーズへと発展した。日本サッカーリーグ時代から、この工場敷地内にある「住友金属鹿島製鉄所総合グラウンド陸上競技場(現・NIPPON STEELグラウンド)」[2]を試合会場に使用し、Jリーグ発足後はトップチームの練習、並びに下部組織(ユース)の練習・試合会場などに利用されている。
生産品
沿革
- 1968年(昭和43年)12月1日‐住友金属工業鹿島製鉄所として操業開始。
- 1969年(昭和44年) - ホットストリップミル設置。
- 1971年(昭和46年)1月 - 第一高炉火入れ。
- 1973年(昭和48年)3月 - 第二高炉火入れ。
- 1974年(昭和49年) - 大径溶接鋼管設備設置。
- 1976年(昭和51年)9月 - 第三高炉火入れ。
- 1983年(昭和58年)3月 - 和歌山製鉄所から大量配転。
- 1994年(平成6年)6月 - 鹿島ステンレス鋼板製造所を統合。
- 2003年(平成15年)10月 - ステンレス鋼部門を新日鐵住金ステンレス鹿島製造所として分離。
- 2004年(平成16年)9月 - 第一高炉を建て替え、新第一高炉火入れ。
- 2006年(平成18年)12月 - 第3溶融亜鉛めっき鋼板設備稼働。
- 2007年(平成19年)6月 - 住友金属鹿島火力発電所の操業開始。
- 2012年(平成24年)10月 - 新日鐵住金鹿島製鐵所に改称。
- 2019年(平成31年)4月 - 日本製鉄鹿島製鉄所に改称。
- 2020年 (令和2年) 4月 - 日本製鉄の組織統合により東日本製鉄所鹿島地区となる予定。
火力発電所
敷地内に日本製鉄鹿島火力発電所(出力50万7千kW)を併設し、IPP事業も行っている。
なお、この発電所は、東日本大震災直後から稼働を停止し、設備の一部も損傷したが、震災から15日後の3月26日に火力発電所を復旧させ、発電した47万5千キロワット (=475Mw;茨城県全世帯の電力需要を賄う規模)すべてを東京電力に供給した。
アクセス
- 高速バス
- 鉄道
- 自動車
- 東関東自動車道潮来インターチェンジより20分
関連項目
脚注
- ^ “製鉄所組織の統合・再編成について”. 日本製鉄. (2019年11月1日) 2019年11月1日閲覧。
- ^ 鹿島アントラーズ・NIPPON STEEL グラウンド
外部リンク
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- 日本製鉄鹿島製鐵所のページへのリンク