日本一への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:00 UTC 版)
「関西学院大学ファイターズ」の記事における「日本一への挑戦」の解説
甲子園ボウルでは最多である優勝24回を誇る関西学院大学ではあるが、ライスボウルが1983年度に日本選手権となって以降、日本大学と京都大学が順調に優勝を積み重ねていくのに対し、関西学院大学は優勝に一歩届かない年が続き、一時期「社高学低」と呼ばれる一因ともなっていた。 初出場となった1985年度には「ショットガンの申し子」QB芝川龍平(現毎日放送勤務)を擁して挑んだものの、前年度に日本大を初の日本一に導いたQB松岡率いるレナウンに序盤で大量リードを許し第4クォーターの猛反撃も3点届かずに敗れる。2回目の1991年度は、怪我を克服したQB東村率いる攻撃陣がオンワード守備に封じられ、終始後手に回る展開で大敗する。3回目(1993年度)・4回目の出場(1999年度)は、いずれもアサヒビールシルバースターと対戦。1993年度は、前島・八田・林のRBトリオを始め、攻守にタレントの揃った歴代でも屈指のチームで、第4クォーター終盤にQB芝原から植村への逆転TDパスが決まり、一旦は日本一を手中にしかけたが、シルバースターQB東海辰弥の冷静かつ老練なプレーの前に再逆転を許し、僅差で日本一を逃した。1999年度は、1年時から注目されたQB有馬隼人率いる攻撃陣がリズムをつかめない中、シルバースターRB吉岡、中村、QB金岡らに易々とゲインを許して突き放され、終盤の反撃も及ばなかった。 こうして迎えた2001年度のシーズンは、シーズン当初から日本一を目指して始動する。主将石田力哉(兄)を中心としたチームは、リーグ戦を全勝で3連覇し、甲子園ボウルでも前年苦杯をなめた法政大を一蹴し、5度目のライスボウル出場を果たした。アサヒ飲料との試合は手探り状態の続く中から、榊原一生(兄)のパントフェイクランを契機に流れを引き寄せ、第2クォーターに4つのタッチダウンを挙げて優位に立つ。終盤、アサヒ飲料の反撃を許すも石田率いる強力守備陣の活躍で辛くも逃げ切り、創部60年の集大成として、念願の日本一を達成した。
※この「日本一への挑戦」の解説は、「関西学院大学ファイターズ」の解説の一部です。
「日本一への挑戦」を含む「関西学院大学ファイターズ」の記事については、「関西学院大学ファイターズ」の概要を参照ください。
- 日本一への挑戦のページへのリンク