日本における青銅砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 02:12 UTC 版)
青銅砲は、日本においても江戸時代頃より和製大砲として製造され、戊辰戦争などの幕末の内乱や西南戦争で使用された。フランス式の青銅砲である四斤山砲も幕末にオランダから輸入され、1867年(慶応3年)には国内での製造も可能となって、同じく戊辰戦争から西南戦争にかけて主力野戦砲として使用された。19世紀後半においても青銅砲を使用していたのは、鎖国下における日本の技術の停滞を示すものと考えられた(ただし、実際には欧米でも青銅砲は未だ使われており、開国がたまたま青銅砲から鋼鉄砲への移行時期と重なったに過ぎず、決定的な遅れではなかった)。 明治時代に入ってからも、日本では国産が容易な青銅砲が制式装備として使用された。実際に当時のヨーロッパでも、青銅砲は生産が容易な砲として使用は続いており、留学中にそれを確認した大山巌は、これを見習うべしと帰国後に報告したほどである。日清戦争では1891年(明治24年)制式の九糎臼砲ほか、野砲や山砲など各種の青銅砲が主力火砲として活躍した。その後これらは鋼製の火砲によって更新されていくが、一部は兵器不足となった日露戦争や太平洋戦争に至るまで使用されている。
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