日本における普及の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 05:09 UTC 版)
「マイム・マイム」の記事における「日本における普及の経緯」の解説
フォークダンスは第二次世界大戦後、たまたまそれを趣味にしていたGHQの教育担当者を通して日本に紹介され終戦直後の人々が娯楽に飢えていた状況の中で瞬く間に各地に伝播した。また、当時GHQ以外にもアメリカの在日団体であるYMCAやYWCAなども野外レクリエーション普及の一環として当時の日本でフォークダンスの普及に力を入れていた。日本の団体では1956年に発足した社団法人日本フォークダンス連盟が指導者講習会などを通じてフォークダンスの普及に努めていたほか、政治運動や労働運動が活発だった時期には労働組合や一部の政党などが青年層の組織化の手段としてうたごえ運動などに加えてフォークダンスを利用しており、これが結果としてフォークダンス普及に寄与した点も指摘しうる。そしてこのような社会的状況の中で、他の曲と並びマイム・マイムも人々の間に浸透していったと見ることができる。マイム・マイムは日本フォークダンス連盟の資料では、日本では1951年にラリー・キースリーが教えている[要出典]。 一方、当時の文部省も終戦直後から国策として各都道府県の教育委員会を通じフォークダンスを各地に広めようとするなど、その普及に一役買っていた。教育面で見た場合、昭和30年代頃から小中学校の学習指導要領でフォークダンスの学習が義務付けられたこともマイム・マイムが日本でこれだけ広く普及したことと無関係ではない(ただし昭和50年代の学習指導要領ではフォークダンスの学習は任意とされていた時期があり、この時代に学齢期を過ごした人の中には、マイム・マイム自体を知らない人もいるようである)。
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