日本における初期の禁酒運動
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「日本禁酒同盟」の記事における「日本における初期の禁酒運動」の解説
「禁酒運動#日本の禁酒運動」も参照 1875年(明治8年)に横浜で奥野昌綱を議長として組織された「禁酒会」(第一次横浜禁酒会:16)が日本人による最初の禁酒運動組織とされる。奥野らの禁酒会は「キリスト教の伝道の一環」:16として組織されたもので、結果的に短命に終わったが、影響を受けて故郷で禁酒会を組織する者も出た:17。 1876年(明治9年)、札幌農学校教頭に赴任したクラークは生徒にキリスト教への入信を勧めたが、「イエスを信ずる者の契約」とともに「禁酒禁煙の誓約書」も交わしている:17。誓約を行った一期生の中には、のちに日本国民禁酒同盟理事長(第3代)となる伊藤一隆がいる:17。 1881年(明治14年)に西本願寺が設立した普通教校(僧侶と一般の学生がともに学ぶ学校。龍谷大学の前身)では、高楠順次郎らにより「禁酒進徳」をスローガンとする学生団体「反省会」が組織された。 1883年にアメリカで組織されたキリスト教婦人矯風会(英語版) (WCTU、当時の日本では「万国婦人禁酒会」などと訳された:18) は、禁酒運動を強力に推進した。1886年(明治19年)、キリスト教婦人矯風会からレヴィット夫人 (Mary Clement Leavitt) が日本に禁酒遊説に訪れた:18。演説会は盛況であり、レヴィット夫人の呼びかけに応じ、各地で禁酒団体が組織された:18。
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