日中覚書貿易事務所代表・経済協会顧問とは? わかりやすく解説

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日中覚書貿易事務所代表・経済協会顧問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:36 UTC 版)

岡崎嘉平太」の記事における「日中覚書貿易事務所代表・経済協会顧問」の解説

1962年日中貿易交渉の副団長として訪中した際、周恩来岡崎一行対し次のように述べ岡崎はその言葉感銘受けたと後に語っている。 「日清戦争以来日本我が国侵略し人民を傷つけ苦しめてきました。我々は深い恨みあります。しかし、中国日本の間には2000年に渡る友好歴史あります戦争による不幸な歴史はわずか数十年に過ぎません。我々は日本恨み持っていますが、それを忘れよう努力をしています。これから日中力を合わせてアジア良くして行こうではありませんか。」 1968年以降日中覚書貿易事務所代表として訪中重ねながら、政界古井喜実田川誠一とともに日中貿易冬の時代乗り切り日中国交正常化尽力する周恩来首相とも親睦深め「兄(岡崎1歳年上)、弟」と呼び合うほどの信頼関係築いたという。これがきっかけ岡崎描いていた民間レベルでの貿易構想は「日中総合貿易に関する覚書LT貿易)」という形で現実化することとなった。しかし当時風当たり強く右翼団体自宅囲んだりし警察自宅泊まり込むほどだった。 日中国交正常化の際には、田中角栄総理中国訪問する2日前、周恩来岡崎をもてなすために、食事会開いた。「中国には『を飲むときには、その井戸掘ってくれた人を忘れない』という言葉あります」「まもなく田中総理中国来られ国交正常化ます。しかしその井戸掘ったのは岡崎さん、あなたです.」と言ったという。その後日中経済協会常任顧問として日中貿易利権携わり生涯訪中回数101回に達した1973年未踏加工技術協会初代理事長

※この「日中覚書貿易事務所代表・経済協会顧問」の解説は、「岡崎嘉平太」の解説の一部です。
「日中覚書貿易事務所代表・経済協会顧問」を含む「岡崎嘉平太」の記事については、「岡崎嘉平太」の概要を参照ください。

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