日中訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 10:26 UTC 版)
デューイは、日本、中国、ソ連にも招聘講義に出かけた。日本へは1919年の2月9日に来日し、友人であった新渡戸稲造が学長をつとめる東京女子大学の宿泊施設に滞在した。2月25日から3月21日まで東京帝国大学で八回の講演が開催され、タイトルは、「現在の哲学の位置一哲学改造の諸問題The Position of Philosophy at the Present:Problems of Philosophic Reconstruction」だった。のち『哲学の改造』として岩波書店より刊行した。滞在中は日本の社会や教育に深い関心をもち、日本人がデモクラシーを口にしつつも、天皇を絶対視していることを帰国後に語ったといわれる。また日本滞在中にアメリカの生徒であった中国人研究者によって北京大学、清華大学で講演することを求められ、4月28日に中国へ向かう。当時は日本の中国支配に対する学生たちの運動(五・四運動)が展開されていた。デューイは中国を大変気に入り、滞在期間は延長され1921年7月まで滞在した。デューイにとっての中国は「第二の国」であったといわれる。
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