旅に病で夢は枯野をかけ廻る
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評 言 |
先日、高校卒業五十年のクラス会に招かれた。そろそろ古稀の声が掛かる面々で、所謂団塊の世代と呼ばれる連中である。 いろいろ思い出話をしゃべりあっていると、「国語の授業は面白くなかったが、雑談の方は面白かった。」という。俳句の授業の時、芭蕉の弟子たちが題材の小説の授業と前後してのことで、芭蕉も大変だったんだよと話したらしい。当方はすっかり忘れていたが、電気科の生徒の記憶に残るものがあったということが、正直、意外であり、嬉しかった。 定年を過ぎ、世の中の荒波を潜りぬけて、落ち着いた暮しに入って、同級生と会う。会社や家族など、諸々のしがらみや軋轢を体験したのだろう。「なにか覚えている句があるか。」たずねると、冒頭の一句が期せずして出て来た。 <まだ現役の時分、高校での芭蕉の授業では、やはりこの一句である。旅を愛し、旅に明け暮れた芭蕉の生涯は、二十一世紀の我々の感覚からすれば、羨ましい限りの境遇であり、生涯である。瀕死の床でも、旅の自分を見つめ、山野を辿る。最愛の弟子に看取られる芭蕉。その弟子たちは、思惑が渦巻いていたにしろ、昏睡の芭蕉自身は幸福な生涯であり、永遠の一句を遺すことができた素晴らしい臨終であったといえるのではなかろうか。>(平凡社『松尾芭蕉この一句』松下けん 242頁より) 馬耳東風のような生徒諸君が卒業後も授業の一環を覚えていてくれたことは、教師冥利に尽きると感謝の言葉を述べた。 傘寿が近づいた身に、なんとも晴れがましい思いにさせられた一夜であった。 |
評 者 |
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備 考 |
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