新日鉄釜石の8連覇を阻止
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「コベルコ神戸スティーラーズ」の記事における「新日鉄釜石の8連覇を阻止」の解説
1984年度の全国社会人大会において、当チームは初めて同大会の決勝に進出した。相手は6年連続日本一の新日鉄釜石。結果は、『13人つなぎのトライ』 を許すなど、0-22と完敗。そして、この大会を勝った釜石は、1月15日に行われた日本選手権も制し、両大会の7連覇を達成した。この新日鉄釜石との敗戦がきっかけとなって神戸製鋼は黄金時代への第一歩を踏み出した。 翌1985年度のシーズン、前年度まで同志社の主力選手だった大八木淳史が加入。さらに主将である林が本職であるロック(LO)ではなく、FW第1列(プロップ。PR)にコンバートするなどして、弱点だったフォワードに厚みが増した。そして近鉄花園ラグビー場で行われた同年度の社会人大会準決勝で、同大会8連覇を目指す新日鉄釜石と再び対戦することになった。前年度とは違い、終盤まで一進一退の攻防戦が続いたが、ノーサイド直前に勝ち越して勝利。ついに釜石の8連覇を阻止した。しかし、決勝では強力FWを擁するトヨタ自動車に敗戦した。 1986年度、英国留学から帰国した平尾誠二が加入。秩父宮ラグビー場で開催された同年度の全国社会人大会準決勝で、三たび、新日鉄釜石と対戦。前年同様、一進一退の攻防戦が続き、結果は9-9の引き分け。抽選の結果、新日鉄釜石が決勝へと進出した。 1987年度の全国社会人大会(花園)の1回戦で、東芝府中と対戦。終盤までリードしながら、ノーサイド直前に逆転トライ&コンバージョンを許し、1点差で逆転負けした。 この頃の当チームは、『力はあるけど勝ちきれないチーム』と言われた。だが翌年度以降、黄金時代を築くことになる。
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