新日鉄社長ポスト争いでの不運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 06:36 UTC 版)
「勝俣孝雄」の記事における「新日鉄社長ポスト争いでの不運」の解説
「ゴードファーザー」こと永野重雄、稲山嘉寛の二人が1983年に引退宣言。これにより1952年 - 1954年入社組の今井敬(旧富士出身)、佐々木喜朗(旧富士。大学の同期)、永野辰雄(永野重雄の長男)、勝俣の四人がほぼ同時期に取締役に昇進、激しい出世争いとなった。財界人脈が豊富な勝俣が次期社長候補No.1と期待されていた。 新日本製鐵は旧富士出身社長→旧八幡出身社長→旧富士出身社長という風に伝統的な「たすきがけ人事」が行われている。1993年、旧八幡出身の斎藤裕社長の後任として伝統破り(勝俣も旧八幡出身)が期待されたが、旧富士出身の今井敬が社長に昇格。伝統は固く、勝俣は2年後に関連企業である九州石油の社長に就任した。九州石油社長ポストは新日鉄社長に就任する実力がありながら「たすき掛け」のルール上就任できなかった旧八幡出身副社長のいわゆる「天下り」ポストである(たすきがけ人事及び天下りポストの伝統は2008年に崩壊)。 その後1998年、自身の部下だった千速晃が新日鉄社長に昇格した。
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