新日本製鐵時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 01:29 UTC 版)
「日本製鉄八幡製鉄所」の記事における「新日本製鐵時代」の解説
1970年3月31日に八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵株式會社が発足する。合併後は、「八幡マスタープラン」と呼ばれる目標を作り、八幡地区から戸畑地区への鉄源集約や最新機器を取りそろえた工場へと変貌していった。 1972年には東田第一高炉が休止され、製鉄上工程は全て八幡地区から戸畑地区に集約。1990年に本事務所を八幡地区(枝光)から戸畑地区(飛幡町)へ新築移転するなど、さらに戸畑地区への集約が進んだ。1991年、八幡地区にあった第三技術研究所は千葉県富津市の総合技術センターに移転集約された。 新日鉄の粗鋼生産の中心は新鋭の君津製鉄所や大分製鉄所に移行していったが、北九州市近郊にトヨタ自動車九州、日産自動車九州、ダイハツ九州など自動車工場が多く建設されたこともあり、現在では高級・多品種の生産拠点として、自動車産業等を支えている。
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新日本製鐵時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 13:46 UTC 版)
「日本製鉄九州製鉄所」の記事における「新日本製鐵時代」の解説
1970年3月31日に八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵株式會社が発足する。合併後は、「八幡マスタープラン」と呼ばれる目標を作り、八幡地区から戸畑地区への鉄源集約や最新機器を取りそろえた工場へと変貌していった。 1972年には東田第一高炉が休止され、製鉄上工程は全て八幡地区から戸畑地区に集約。1990年に本事務所を八幡地区(枝光)から戸畑地区(飛幡町)へ新築移転するなど、さらに戸畑地区への集約が進んだ。1991年、八幡地区にあった第三技術研究所は千葉県富津市の総合技術センターに移転集約された。 新日鉄の粗鋼生産の中心は新鋭の君津製鉄所や大分製鉄所に移行していったが、北九州市近郊にトヨタ自動車九州、日産自動車九州、ダイハツ九州など自動車工場が多く建設されたこともあり、現在では高級・多品種の生産拠点として、自動車産業等を支えている。
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