新宿ゴールデン街の振興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 01:58 UTC 版)
1980年代後半、バブル景気の煽りを受け地価が急騰し、新宿ゴールデン街でも再開発の噂が囁かれるようになった。土地の権利を狙う地上げ屋が一帯を買い占めようと暗躍し、これに反対する既存店舗のオーナーとの間で不穏な空気が漂うことになる。1986年には不審火騒ぎが起きるに至り、危機感を抱いた奥山は他店のオーナーらと「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」を結成し、地上げや再開発に反対する活動を展開した。なお、かつて店を譲ってくれた「ぎょろ」の先代オーナーは、このとき地上げ屋の一員となっており、図らずも両者は意見が対立することとなった。 1990年代前半になるとバブル崩壊により地上げは終息するが、買い占められて閉店した空き店舗がそのまま放置され虫食い状態となり、客足も遠のくなど惨憺たる状況となった。特に凹凸の目立つ道路、下水の逆流、頻発するガス漏れといった問題の解決が急務と考え、新宿区役所に対してインフラストラクチャーの整備を嘆願した。嘆願書においては、現状のまま放置すれば新宿ゴールデン街を発火点に新宿区全体を巻き込む大火災が発生しかねないが、その責任を区がとれるのか、などと主張した。その結果、区からの支援を受けることができ、1996年に大規模な整備が実施された。このインフラストラクチャー整備の効果が表れるとともに、このころ制定された定期借家権制度も追い風となり、2000年頃から若い経営者による出店が相次ぐようになった。 2003年、地権者でもある大久保ゑんの後任として、新宿三光商店街振興組合の理事長に就任した。それ以来、約10年にわたって理事長を務め、新宿三光商店街振興組合の取り纏め役を務めた。なお、理事長在任中、新宿三光商店街振興組合はフリーマーケットや納涼祭の開催、中央制御火災感知システムや防犯カメラの設置、といった施策に取り組んだ。2013年に理事長を退任し、バー「ダーリン」オーナーである俳優の石川雄也に引き継いだ。以降も副理事長と相談役を兼務するなど役員として名を連ねていたが、2015年11月3日付で退任した。
※この「新宿ゴールデン街の振興」の解説は、「奥山彰彦」の解説の一部です。
「新宿ゴールデン街の振興」を含む「奥山彰彦」の記事については、「奥山彰彦」の概要を参照ください。
- 新宿ゴールデン街の振興のページへのリンク