新宮氏とは? わかりやすく解説

新宮氏 (陸奥国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/17 11:27 UTC 版)

「新宮氏」の記事における「新宮氏 (陸奥国)」の解説

新宮氏(しんぐうし)は、鎌倉時代から室町時代初期にかけて陸奥国(後の岩代国耶麻郡新宮荘(福島県喜多方市)を支配した氏族本姓平氏佐原義連の子・盛連の六男・時連を祖としている。 盛連には5人の兄がおり、長兄・経連は猪苗代氏次兄・広盛は北田氏、三兄・盛義は金上氏、四兄・光盛は蘆名氏、五兄・盛時加納氏の祖となり、それぞれの子孫会津各地分割支配した。新宮氏は新宮城築城して居城し、また新宮熊野神社厚く信仰して多く寄進行なっている。室町時代になると新宮氏は同族蘆名氏と争うようになった。新宮氏は応永9年1402年)には加納氏滅ぼしまた、同族北田城主・北田上総介結んで蘆名氏と戦うが、応永16年1409年)に北田氏は蘆名氏滅ぼされた。その後一進一退の攻防続いたが、応永27年1420年)に蘆名盛政新宮城落とし当主新宮盛俊は戦死し残党越後落ち延びた永享5年1433年)、新宮氏残党越後国小川津川城攻めたが、城代金上氏によって撃退され滅亡した。新宮氏滅亡後会津豊穣になったとの記載が『塔寺八幡宮長帳』にあり、このことから新宮氏と蘆名氏との戦いで会津盆地荒廃していたことが窺える

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新宮氏 (紀伊国)

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「新宮氏」の記事における「新宮氏 (紀伊国)」の解説

新宮氏(しんぐうし)は、清和源氏である源行家新宮十郎)流と称した。祖とする行家は治承・寿永の乱の際に以仁王平家追討令旨全国源氏伝え挙兵促すなど活躍したが、平家滅亡後に甥の源頼朝対立し和泉国敗れ殺害された。紀伊国新宮地方には新宮姓を名乗る一族存在し南北朝時代から戦国時代まで支配続けた。この一族は行家の子孫とも熊野別当家一族ともいわれる新宮行栄の代で堀内氏(新宮堀内家)との抗争敗れその後新宮堀内氏が支配したが、堀内氏善の子新宮姓を称し新宮行朝名乗った。行朝は関ヶ原の戦い西軍属し敗れ改易され、新宮氏の紀伊支配終息した。

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