北田城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 北田城の意味・解説 

北田城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/31 16:23 UTC 版)

logo
北田城
福島県
北田城址
城郭構造 平城
築城主 佐原広盛
築城年 鎌倉時代初期
主な城主 北田氏
廃城年 1416年応永9年)
遺構 なし
指定文化財 なし
位置 北緯37度34分52.6秒 東経139度52分26.4秒 / 北緯37.581278度 東経139.874000度 / 37.581278; 139.874000座標: 北緯37度34分52.6秒 東経139度52分26.4秒 / 北緯37.581278度 東経139.874000度 / 37.581278; 139.874000
地図
北田城跡
テンプレートを表示

北田城(きただじょう)は、福島県河沼郡湯川村にあった日本の城。「北田城跡」として湯川村指定史跡となっている[1]

歴史・沿革

  • 鎌倉時代初期に佐原盛連の次男・広盛が北田氏を名乗り、城を築いたのが始まりと言われている。なお、広盛の兄・経連は猪苗代氏の祖、弟・光盛は蘆名氏の祖である。
  • 応永9年(1402年)、北田氏は同じ蘆名氏一族で、新宮庄(現在の喜多方市一帯)地頭の新宮城主・新宮盛俊と結んで黒川城の蘆名氏に反旗を翻し、そのため応永16年(1409年)6月、北田城は蘆名氏によって攻め落とされ、城主・大庭政泰(北田上総介)父子らは討死し、北田氏は滅亡した。

構造

城は東に湯川、西に阿賀川、北に日橋川と三方を川で囲まれている段丘上にある平城で、主郭が東西110m南北120m、外郭が東西220m南北210mと広大な広さを持っている。

脚注

  1. ^ 史跡・文化財”. 湯川村. 2024年8月31日閲覧。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北田城」の関連用語

北田城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北田城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北田城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS