新宮水野男爵家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:39 UTC 版)
紀州藩の付家老で紀伊新宮藩の最後の藩主だった水野忠幹は、1869年(明治2年)の版籍奉還で知藩事に転じたのを経て1871年(明治4年)の廃藩置県まで務め、1884年(昭和17年)7月8日に男爵に叙された。忠幹の長男の水野忠宜は陸軍に入隊したが、八甲田雪中行軍遭難事件で遭難死した。忠幹の死後にはその七男の水野忠武が爵位を継承した。 新宮水野男爵家の邸宅は京都市上京区平野八丁柳町にあった。
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