新たな資料の確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 10:36 UTC 版)
「鉛筆部隊」の逸話が世に出ることで、あらたに存在が確認された資料として以下のものがある(アルファベットは「鉛筆舞台」参加者のイニシャル) YT資料:2009年1月、山梨縣護國神社の骨董市で古手紙の束を山梨県笛吹市在住の男性が購入した。この手紙の多くに「鉛筆部隊」と判子が押されていた。鉛筆部隊のY.Tの手紙の束である。男性は疎開資料として貴重なことから松本市立博物館に寄贈した。 HT資料:2013年3月、長野県安曇野市在住の男性から資料の存在を知らされた。確認すると武剋隊の兄弟隊武揚隊(誠第31飛行隊)の隊員11名が浅間温泉を発つ前に書き残した遺墨及び遺影とわかった。これは2013年夏に松本市立博物館で開催された「戦争と平和展」で展示された。 KH資料:『ラジオ深夜便』で「疎開児童の見た特攻隊」が放送された際、資料情報を呼び掛けたところ神奈川県川崎市在住の女性(K.H)から応答があった。浅間温泉に疎開していたときに特攻隊隊員から取得した遺墨や手紙などで、誠第32飛行隊の佐藤正軍曹からのものだった。これは2016年夏に松本市立博物館で開催された「戦争と平和展」で展示されたなお、これら資料は、きむらけんによって博物館に寄贈された。 TH手記:『鉛筆部隊』を読んだ徳島県小松島市在住の男性(誠第31飛行隊の隊長山本薫中尉の甥)からの知らせで、誠第31飛行隊の特攻までの経過を記した手記が見つかった。 『鉛筆部隊と特攻隊』を契機として判明した資料を基に、きむらけんはさらに3冊の書籍を上梓した(「関連文献」節を参照)。これらによって陸軍松本飛行場に沖縄攻撃に向かう特攻機が数多く飛来してきたことが明らかになった。特に満州国新京市で発足した誠第31飛行隊(武揚隊)、誠第32飛行隊(武剋隊)の詳しい動静が判明した。二隊は当初陸軍各務原飛行場で特攻機としての整備(爆装改修)を行う予定だったが、名古屋空襲が激しく、急遽内陸部の陸軍松本飛行場での整備に変更した結果飛来した。
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