文献におけるムハンマドの肖像画
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「ムハンマドの表象」の記事における「文献におけるムハンマドの肖像画」の解説
イスラム初期のハディースや文献には、ムハンマドの肖像画が登場する逸話が少なくない。アブー・ハニーファ・ディナワリ、イブン・ファキーフ・ハマダーニー、イブン・ワッシーヤ、アブー・ヌアイムなどが、異同はあれど、2人のメッカの人がビザンツの皇帝ヘラクレイオスのもとを訪れたときの逸話を伝えている。皇帝は2人に飾り戸棚を見せた。これはもともとは神がアダムに与えたというもので、皇帝はそれをアレクサンダー大王から譲り受けていた。その引き出しの1つ1つには、預言者の肖像画が1枚ずつはいっていた。最後の戸を開けると、そこにはムハンマドの肖像画があったので、メッカの人は驚いたのだった。同じ話が、メッカの人が中国の皇帝を訪れたときのものとして伝わっているものもある。アル・キサイによれば、神は実際にアダムに預言者の肖像画を与えたのだという。 イブン・ワッシーヤとアブー・ヌアイムは別の話も伝えている。メッカの商人がシリアを訪れたときのことだが、キリスト教の修道院に招かれたそのメッカの人は、そこで預言者や聖人を描いたたくさんの彫刻や絵画を目にする。その中にはムハンマドやアブー・バクルの聖像もあったが、キリスト教徒はそれとわかっていなかった。11世紀の逸話には、ムハンマドがササン朝の王カワード2世に雇われた画家の前で肖像画を描くために招かれたという話が伝わっている。王はこのときの肖像画をいたく気に入り、枕元に飾ったという。 後代のアル=マクリーズィーは、エジプト総督のムカウキスがムハンマドの使者と面会した時の逸話を伝えている。ムカウキスは、使者にムハンマドの外見を説明させ、1枚の布の上に立つ見知らぬ預言者の肖像画とその説明をつきあわせたのだった。そしてそれは一致していた。 17世紀の中国でも、皇帝がムハンマドとの面会を要求したが断られ、代わりに肖像画が送られてきたという話が伝わっている。皇帝はこの肖像画に夢中になるあまりムスリムに改宗したが、その時点で役目を果たした肖像画はどこかに消えてしまったという。
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