文献におけるムハンマドの肖像画とは? わかりやすく解説

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文献におけるムハンマドの肖像画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:24 UTC 版)

ムハンマドの表象」の記事における「文献におけるムハンマドの肖像画」の解説

イスラム初期ハディース文献には、ムハンマド肖像画登場する逸話少なくないアブー・ハニーファ・ディナワリイブン・ファキーフ・ハマダーニー、イブン・ワッシーヤ、アブー・ヌアイムなどが、異同はあれど、2人メッカの人がビザンツ皇帝ヘラクレイオスのもとを訪れたときの逸話伝えている。皇帝2人飾り戸見せた。これはもともとは神がアダム与えたというもので、皇帝はそれをアレクサンダー大王から譲り受けていた。その引き出し1つ1つには、預言者肖像画1枚ずつはいっていた。最後の戸を開けると、そこにはムハンマド肖像画があったので、メッカの人は驚いたのだった。同じ話が、メッカの人が中国の皇帝訪れたときのものとして伝わっているものもある。アル・キサイによれば、神は実際にアダム預言者肖像画与えたのだという。 イブン・ワッシーヤとアブー・ヌアイムは別の話も伝えている。メッカ商人シリア訪れたときのことだが、キリスト教修道院招かれたそのメッカの人は、そこで預言者聖人描いたたくさんの彫刻絵画目にする。その中にはムハンマドアブー・バクル聖像もあったが、キリスト教徒はそれとわかっていなかった。11世紀逸話には、ムハンマドササン朝の王カワード2世雇われ画家の前で肖像画を描くために招かれたという話が伝わっている。王はこのときの肖像画をいたく気に入り枕元飾ったという。 後代アル=マクリーズィーは、エジプト総督のムカウキスがムハンマド使者面会した時の逸話伝えている。ムカウキスは、使者ムハンマド外見説明させ、1枚の布の上に立つ見知らぬ預言者肖像画とその説明つきあわせのだった。そしてそれは一致していた。 17世紀中国でも、皇帝ムハンマドとの面会要求した断られ代わりに肖像画送られてきたという話が伝わっている。皇帝はこの肖像画夢中になるあまりムスリム改宗したが、その時点で役目果たした肖像画はどこかに消えてしまったという。

※この「文献におけるムハンマドの肖像画」の解説は、「ムハンマドの表象」の解説の一部です。
「文献におけるムハンマドの肖像画」を含む「ムハンマドの表象」の記事については、「ムハンマドの表象」の概要を参照ください。

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