文献における末喜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:37 UTC 版)
末喜のエピソードは、殷の紂王の妃・妲己や西周の幽王の妃・褒姒のエピソードと酷似している。これは、桀の事蹟として欠けている伝承を文献に残されている後代のエピソードからそのまま流用して埋めたためであると推定されている。帝王が傾国の美女に溺れて諫言をする忠臣を殺し、臣下の補佐を受けた英雄によって滅ぼされるという構造は、中国史における物語の神話的典型となっている。 後世に書かれた歴史書『国語』では、「昔夏の桀が有施を伐った際、桀は有施人の妺喜を妃とし、妺喜に溺れた。そのため、伊尹に夏は亡ぼされた」と書かれる。 また、『列女伝』でも夏桀末喜は、殷紂妲己、周幽褒姒と並び立てられ、「末喜という者は夏の桀の妃であった。美しいが徳は薄く、道を乱した。心は男丈夫のようで、剣を佩き冠を被った。淫乱で贅沢な女性で、桀に道を失わせた」と批判される。 皇甫謐の『帝王世紀』でも、「妺喜は日夜宮女に酒を飲ませた。桀は妺喜を常に膝の上に置いた。妺喜は絹を裂く音を聞くと笑い、桀は絹を集めては裂くようになった。桀は妺喜の言うことをなんでも聞いた」と書かれる。
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